たまには昔の話を(胃腸編) [昔話]
僕との付き合いが長い人なら知っていると思うけど、僕はとても胃腸が弱い。自分が弱いのだと自覚したのは小学生の頃で、これはその当時の話。
最近の学校でも同じなのかはよく分からないけど、当時は学校をあげての防災訓練が頻繁に実施されていた。訓練災害発生の場所は毎回違えど、大まかな内容としては①訓練当日、非常ベルが鳴ったら机の下に潜る。いつ鳴るかは秘密②防災頭巾をかぶって校庭に迅速に避難する③校庭で火消し体験や交通安全等のレクチャー(これは毎回違っていた気がする)と毎回お定まりのコースであり、2年生ともなれば教師の口から発せられる『おすし』の合言葉(押さない・素早く・静かに)も既にマンネリ、いつしか流れ作業の扱いで緊張感は薄れていった。
教師の中で「もっと緊張感を」と言う意見が出たかどうかは分からないが、あの時の防災訓練は違った。非常ベルの後の校内放送「1階理科室より訓練火災発生。生徒は速やかに―」これはいつもと同じ。防災頭巾を装着して廊下に出たとき、異変に気付いた。理科室の方向から本物の煙が…しかし教師陣の思惑は外れ、表現できたのは緊張感ではなく臨場感だった。喜ぶ生徒達(今考えれば万死に値する)。普段以上に緊張感の無い、グズグズな訓練になってしまった。
さらに教師陣の誤算。訓練後、煙を吸った数人の生徒が体調不良を訴え、保健室に運び込まれたのだ。定かではないが少なくとも10人はいたはずである。その中でも症状の重い二人の生徒はベッドで大いに苦しんだ。その内の一人が僕だ。今でも鮮明に記憶しているが、僕の苦しみ方は異常だった。腹腔部を襲う激しい痛みにもがき、のた打ち回るうちに枕に脚が向く始末。症状を的確に伝えることも出来ず苦しむ様に、ただうろたえる教師達。…ただうろたえる?
信じられないことに教師達は僕を病院に連れて行くこともせず、かと言って投薬するわけでもなく、そのまま放置したのだ。痛みの少ない体勢を模索するうちに眠りについた僕。しばらくして物音でうっすらと意識を取り戻した時、校長が視察に訪れたのを僕は知っている。当時の僕は「校長も心配してくれているんだ」とどちらかと言えば喜んでいた。しかし今思えば、あの校長の行動は…
夕方になり(夕方まで保健室)、迎えに来た母と帰宅。自宅ではタイミング悪く内装工事をしており、シンナーの臭いにより二重の苦しみを味わった。当然、防災訓練で煙が焚かれたのはその一度きりだった。
この一件が、胃腸に異常をきたした一番古い記憶。それからの僕の人生、腹痛との戦いの人生である。。。
たまには昔の話を(土下座編) [昔話]
みなさんは入院や手術をしたことはありますか?
僕はどちらも一度だけしたことがあります。これはその当時のお話。
通っていた大学の選択授業には体育も入っておりまして、小学生の頃から
水泳やバスケを“習い事”としてやっていた僕としては
「体を動かすだけで単位がもらえるなんて☆」と当然のように体育を履修。
中・高の部活は陸上でしたが、バスケットボールを選択しました。
忘れもしない11月28日(金)。
相手チームの優位で進んでいた試合に、僕を含め敵も味方もかなり熱くなっていた。
なおかつ攻め入る相手オフェンスに半ば強引にチェックを入れる僕。シュートを弾こうとしたのだ。
そして先に着地した僕の上に相手が落ちてきた瞬間に衝撃が走った!
あれ?右足首から先が変な方向に・・・
すぐさま送られた病院での診断結果は「脱臼骨折および螺旋骨折」。
足首から上に出ている2本の骨がともに折れていたのだ。
即日入院し、固定用のプレートを埋める手術。
入院そのものは1ヶ月だったが、リハビリ&プレート除去のいわゆる「完治」までは
8ヶ月もかかったのだった。
退院してしばらくしてから当該体育授業を見学しに行った際、人に声を掛けられた。
話の内容から察するに、どうやら僕の上に落ちてきた当人のようだ。
そして突然体育館にひれ伏す相手。「スイマセンでしたっ!」と土下座をしたのだ。
話の内容と本人の雰囲気から察するに、どうやら「意図的に僕の上に落ちてきた」ようだ。
その事に言葉を失ったが、瞬間信じられないものを目にした。
その男、土下座をしながらもちょっと笑っているのだ。
初めてされた土下座が「不誠実な土下座」だった・・・!
もはや「意図的だった」疑念に対する感情は何もなく、ただただ「不誠実な土下座をされた」という
事実に、とても悲しい気持ちになったのだった。
それからの僕の行動原理に多大な影響を与えた出来事ですが、あまり面白くない記事ですね。。
まぁ、昔話ですから・・・
たまには昔の話を(車編) [昔話]
現在僕はスバル・インプレッサに乗っているわけですが
気まぐれに我が家の車遍歴を紹介したいと思います。
と、言っても僕の知る限りの情報ですが。
【第1世代 スバル・レオーネ】
そう、物心ついたときから既にスバル。
薄い水色の、ちょっと角ばったボディだったなぁ。
僕が幼児の頃ですから、当然MT。父の膝の上に乗り、
集合駐車場の直線走行でハンドルを握らせてもらったのが人生で初めての運転でした。
父に「運転していいよ。」とだけ言われたのですが、子供ながらに
「ハンドル切ったらやばいでしょ!」という感覚がどこかにあり、結局ハンドルを握るだけでしたw
そういう父も昔セスナ機の助手席(?)に乗ったとき、パイロットに「操縦していいですよ。」と
言われたのですが(助手席側にも操縦桿はある)さすがに握るだけだった、と、後日談として
聞いております(^_^;)
【第2世代 スバル・レガシィ】
小学生の頃からかな?ミレディッシュグレー(赤味がかった小豆色)のレガシィがうちに来ました。
この頃から父は「MTは疲れる」と言ってATにしてしまったのが、今となってはとても残念。
レガシィと言う車種の中でも、確か第2世代の形だったと思います。しかもリアスポイラー付きで
父の職場の中では「ヤンキーの車だよね」というのが主たる見解だったようです。
こいつはかなり長い間頑張りました…そう、11・2年は走ったかな。
なんせ僕が19歳で免許を取って、まず運転したのがこの車ですから。
最期のあたりで、僕のミスでリアスポイラーが取れちゃったのはビックリだったなwww
↑ね、しゅうちゃんw
【第3世代 スバル・インプレッサ】
えーと2000年の10月に納車だったかな?その頃人気だったインプレッサ(GC8)が
ビッグマイナーチェンジで世に出したのが、自動車界で言うところの「丸目インプ(GDAA)」でした。
マイナー前のインプファンにとってはおよそ受け入れられないミテクレだったようですが、
父の枕元に“ホリデーオート”を忍ばせたところ、翌朝「インプレッサ、いいじゃないか」となり
まんまと僕の作戦は成功し、購入と相成ったのでした。
しかもボディ色は「真っ青」!!納車当時の話をすると、母は必ず
「『えーっ!これからこんな車に乗るの!?』と思ったよ(´ω`;)」と言います。
更にウチのインプの特徴と言えば、何と言っても「K'sマスターサウンドシステム」。
KENWOODによる、インプレッサの音場に合わせたサウンドチューニングが施されているのだ!
しかも6スピーカー。今このインプに乗っても、明らかに僕のインプより音質は上です。
遍歴紹介はここまで。第3世代のインプは現役バリバリでございます。
僕は僕で2004年9月に「涙目インプ(GDAE)」を買ってるあたり、完全にスバリスト父子ですな。
ちなみにウチの父、レオーネの前はホンダに乗っていたようです。
それより前には友人と「スバル360」に乗っていたそうです!
いやー車好き以外にはまったく受け入れられない記事ですな。
まぁ、昔話ですから・・・







